初日は到着日だったこともあり、ほとんど観光しなかったが、今日からは佐賀を楽しむ観光を本格的にスタートさせる。
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佐賀の旅は二日目、前日は1時ぐらいに寝て今日は8時半ぐらいに起きて午前中に仕事をかたずける予定だった。
しかし、7時ちょうどになると、宿泊している部屋と棟続きの本堂から素晴らしく大きな声量のお経が聞こえてくるではないか!しかも、木魚も「ポク!ポク!ポク!」と早いリズムで打ち鳴らされ、とてもじゃないけど寝ていられない、しかたないので予定よりも早く起き、仕事を片付けてしまうことにした。
予定よりも早く起きて仕事をしたので仕事も11時には終わり、観光にでかけることにした。
今日は、吉野ケ里遺跡に行く予定、だがまずは佐賀市内の街歩き。
お寺に置いてあるパンフレットに佐賀市内には恵比寿様の像が多くあるとあり、そのマップもあったので、駅に向かうバスが止まるバス停までに恵比寿様を訪ねながら歩くことに。
恵比寿様は風化が激しいものや2012年に遷座したばかりのものもあり、バリエーションが豊かで面白い。
バスで佐賀駅まで行き、まずは駅の近くにある「駅前ラーメン ビッグワン」へ向かう。こちらは昔ながらの佐賀ラーメンの系統で、麺が柔らかめ。それでも豚骨スープは味わい深く、美味しくいただけた。
さらに、「ビッグワン」から徒歩1分の「ららら らーめん駅北口店」へ。
こちらは麺がパッツンで噛みごたえも風味も美味い!この麺と昨日食べた「ふくの家」のコクのあるスープだったら最強だなーとか勝手なことを思いつつ2軒のはしごを達成。
佐賀のとんこつらーめんは、豚骨だがこってりしていなくて意外とあっさりで、連食も余裕なのが良い。
さて、佐賀からJR九州の長崎本線に乗って吉野ヶ里遺跡の最寄りである吉野ケ里公園駅まで行くのだが、交通系ICカードの「PASMO」がJR九州エリアでは使えないと勝手に思い込んでいたので、久しぶりに電車に乗るのに切符を買った。
後で調べてみるとPASMOがJR九州での利用に対応(SUGOCAとの相互利用に対応)したのは2013年とわりと最近であることがわかった。
2013年の相互利用開始には、全国の11の鉄道会社やICカード運営会社が一斉に相互利用を開始していて、PASMOが登場した2004年から、けっこう時間がかかってお互いのエリアで自由に使えるようになったんだなーと勝手に感慨深くなった。
ホームで待つ間に長崎へと向かう特急「ハウステンボス」や同じホームの逆側に止まっている西唐津行きの電車を撮っていると、12時19分発の普通鳥栖行きの電車が入線してきた。
電車は佐賀の中心駅佐賀駅から出発する電車でも4両と短い編成。車両は、415系1500番台がやってきて、関東では東海道線や宇都宮線、成田線などで見かける211系と外観が同じ系統なので、遠い地でもなんだかほっとする電車だった。
平日の真っ昼間の電車はかなり空いていて、先頭車両は常時3~5人しか乗車していなかった。
吉野ヶ里遺跡は長崎本線の車窓から見える。
見えると言っても全貌が見えるというわけではなく、南のムラエリアの復元された茅葺き屋根の建物の一部や南内郭に建つ物見櫓が見えるだけなのだが、教科書に出てきたあの弥生時代の遺跡が目の前にあるかと思うとかなり興奮する。
やがて電車は吉野ケ里公園駅に到着、佐賀駅からはわずか12分だった。
最寄り駅である吉野ケ里公園駅の駅舎は吉野ヶ里遺跡に落ちるお金で潤っているのか、ちょっと近未来感もあるコンクリート打ちっぱなしでおしゃれだった。
どうせなら弥生時代風の茅葺屋根の駅舎とかにすればいいのに。
さて、駅から吉野ケ里遺跡のチケット売り場がある吉野ケ里歴史公園歴史公園センター(東口)まではほぼ直線だが、約1kmあり、10分以上かかる。
吉野ケ里公園駅って最寄り駅っぽい名前をつけておいて、10分も歩かせるとはなんなんだよとちょっと恨み言を言いたくなるが、歴史的な遺跡がある場所だし、駅の立地も難しいのだろう、そうに違いないと自分に言い聞かせた。
(注)最初に三田川駅があって、後から吉野ヶ里遺跡の発掘が進み、吉野ケ里公園駅という名称は1993年に改称されたものだそうだ。だから遺跡から駅が遠いのはしょうがない。
東口までの道中にはでっかい実を実らせた麦を見ることができ、飛行機で上空からみた黄色い絨毯の正体を見れて歩くのも悪くないなと単純な自分はすぐに気を取り直した。
あと、吉野ケ里公園駅にはレンタサイクルもあったので、それを利用するのも良いかもしれない。
吉野ケ里遺跡では、環濠や祭壇、南のムラ、南内郭、倉と市、北内郭、甕棺墓列、北墳丘墓を歩いて見て回った。
吉野ケ里遺跡は弥生時代の遺跡として小学校の教科書にも載る遺跡。
「すごい昔にも米を作っていて、いっぱい人がいる町があったんだなー」って感じで記憶していたが、復元された遺跡を見てみると数百人ぐらいの人口しかいなかったように見えて、教科書で覚えた情報とのギャップに少し戸惑った。(研究では外環壕の内部に約1200人、吉野ヶ里を中心とするクニ全体で約5400人が住んでいたという)
また、人口のわりには外敵の侵入を防ぐための環濠や柵、周囲を見回すための物見櫓がしっかりしているという印象だった。これは、米作りが盛んになったことから農地や水を巡っての争いが頻発していたためとのことで、こんな昔でも人と人は争っていたんだなーっと、今後も人間同士の争い、戦争は歴史から無くなることはないんだなと確信したりした。
あと校外学習できている小学生の子どもたちがすれ違うたびにみんな挨拶してくれるので、最後には挨拶を返すのがしんどくなった。
40代には子どもたちの真っ直ぐな瞳は眩しすぎる
弥生ロマンを堪能した後は、長崎本線で佐賀駅まで戻る。車両は817系で、普通電車なのにイスは白木だしヘッドレストは本革で豪華さに驚く。あとで調べたらグッドデザイン賞を受賞していた、納得。
佐賀駅からは佐賀市営バスに乗りバス停佐賀城跡で下車。
佐賀城は、明治初期に起こった佐賀の乱の舞台であり、その時の傷跡が見られるので楽しみにして行く。
お城の前に開館時間が18時までの佐賀県立博物館・美術館を見学する。ここでは、佐賀の歴史と分化を学べ、佐賀ゆかりの作家のアートなども見られる。しかも無料だ。
吉野ケ里遺跡から佐賀の歴史を繋げて見る、考えることができるので、吉野ヶ里遺跡の見学と佐賀県立博物館の見学はセットにすると良いと思う。
さっき吉野ケ里遺跡でみた銅剣はレプリカだったけど、こっちのは本物でちょっと嬉しい。
あと、有明海に住む目が退化してエイリアンのような風貌の魚ワラスボも飼育展示している。
博物館から道を渡るとすぐに佐賀城本丸の跡地。石垣に囲まれた場所には、佐賀城本丸御殿を一部再現した、佐賀城本丸歴史館がある。ここでは、時代劇に出てきそうな長い畳の廊下や書院造の部屋を見学できる。
よくある5層の天守閣のような高層建築ではなく、平屋の建物。実際に藩主が政治というお仕事をして、生活していた場所なので、天守閣よりも藩主の普段がイメージしやすくて良い。
(天守閣は別にあった。天守台は残っているが天守閣は享保11年・1726年に火災に寄って焼失し現存せず)
佐賀城本丸歴史館の後は、鯱の門へ。
ここは本丸の北の門として天保6年・1835年(ほかの案内板には天保9年・1838年築とも)に建てられ、屋根に青銅の鯱が乗ることから鯱の門と呼ばれている。
佐賀藩士の江藤新平・島義勇による佐賀の乱(明治7年・1874年)の際、佐賀城に篭もる熊本鎮台の軍(政府軍)と佐賀軍(反乱軍)の交戦が行われた場所で、木の門扉には銃弾が貫通してできた小さな穴がいくつも残っている。
この反乱は、電信に寄って政府中央に知らされ、汽船で兵員を輸送するなど、日本での近代的な戦争の幕開けにもなった戦争。
そして、神風連の乱、秋月の乱、萩の乱、西南戦争へと続く、明治初期の激動のきっかけともなった戦争。
明治になって初めての内戦という見方もある。
佐賀城跡と博物館で佐賀の歴史を堪能したら、佐賀の味も楽しみたくなった。宿に帰る途中にあるこがんちゃ家という居酒屋が良さそうなので寄ってみることに。
ここのウリは炭火焼きのみつせ鶏の焼き鳥。むねやつくねなどの定番、手羽先、砂ずり、ハツを頼む。砂ずりとハツが歯ごたえが良く、味もギュッと鶏の旨さが凝縮されていて良かった。
有明海の名物ムツゴロウは干しで。真っ黒でテカリのある干しはボリボリとかじる感じで磯臭さが炭火焼きで強調されてて、酒のアテとしてすごく優秀だ。あとB級グルメとして知られるシシリアンライスも美味しかった、少し高いけど。
ほかにも、今回は食べられなかったが呼子イカ一夜干し焼きやちゃんぽん、佐賀牛すじと大根煮、有明のり揚げじゃこサラダなども揃い、佐賀の素材を使った料理なら一通り揃うのが良い。
あと、お酒。九州は焼酎のイメージだが佐賀は日本酒の蔵が多いとのこと。佐賀の殿様の名前を冠した「鍋島」をいただいたが、芳醇な甘さで美味しかった。
ほかにも梅酒100種類や焼酎もたくさん揃う。お店の大将とおくさんだと思われる人も、余り距離感が近すぎる感じじゃなくて良かった。
佐賀の旅二日目は、楽しみにしていた吉野ヶ里遺跡は良かったし、歴史もいっぱい学べたし、美味しいものも食べられたしでかなり満足の内容。
ちょっと夜はおどろおどろしいお寺の雰囲気にも慣れたし、後は明日の朝もお経があるかどうかだけが問題だ。
まあ、元々8時ぐらいには起きる予定だったし、目覚まし代わりになればいいかーって感じで就寝する。