「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の世界文化遺産登録がほぼ決定になりました。
世界遺産にも色々あって、最近では各地にちらばる構成資産をまとめて関連遺産として登録を目指す場合が多いようです。
今回、世界遺産登録間近のニュースを聞いて初めて申請していることを知ったのですが、「12箇所もあるならそれを巡る旅が面白そう」って直感的に思ったのです。
そこで、12箇所をめぐるなら、何日かかるのか、お金費用はいくらぐらいかかるのかを調べてみました。
【目次】
目次
まずは旅に出る前に「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」について少し調べてみました。
隠れキリシタンと言えば、教科書にも出ててきた天草四郎時貞が中心となった島原の乱が有名です。
江戸時代、徳川幕府は民が異教の教えに染まることを恐れ、キリスト教を弾圧しました。
その長いキリスト教禁教政策の下で、ひそかに信仰を伝えた人々の歴史を物語る遺産が「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」です。
ちなみに、2008年~2017年までは「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」という名称で世界遺産に登録しようとしてましたが、1度推薦取り下げになってからは、「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」という名称に変えていました。
一般的には、弾圧を避けてキリスト教の信仰を続けた人々の事を「隠れキリシタン」と学校で習ったと思います。
では、なぜ世界遺産の登録に限って「潜伏キリシタン」という言葉を使ったのでしょうか。
実は、江戸時代にキリスト教が禁教された際、表面上は仏教徒のふりをして、信仰はキリスト教だった人々を学術的には「潜伏キリシタン」と呼ぶそうです。
そして、明治になって禁教令が解かれた後の「潜伏キリシタン」を「隠れキリシタン」と呼ぶのです。
これは、潜伏キリシタン期に、天照大御神や観音像をマリアに見立てたり、その地域の言葉で祈りを捧げたりするなど、独自の信仰スタイルを確立し、明治期にもその信仰形態を継承し、宣教師が伝えたカトリックとはいわば異なる“流派”となったのが「隠れキリシタン」になるのです。
つまり、江戸時代の島原の乱の頃はまだ潜伏キリシタンだったんですね、勉強になります。
さて本題です。2018年5月4日、ユネスコ世界遺産委員会の諮問機関(イコモス)は、文化庁に対して評価結果と勧告を通知しました。
それによると「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」は世界遺産の一覧表に記載するのが適当との勧告がなされました。
この後、6月24日~7月4日にバーレーンで行われる世界遺産委員会で掲載の可否が決定されます。
簡単に言うと、世界文化遺産登録がほぼ確定したということです。これは遺産を巡る旅ができる!って訳で、どのように遺産を回れるのか、計画してみようと思います。
「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」は、姫路城や原爆ドームのように、ここ!っていう1箇所が世界遺産になったわけではありません。
2県6市2町にまたがる12の資産がその構成資産です。
内容は以下の通りです。
1原城跡(長崎県南島原市)
2平戸の聖地と集落[春日集落と安満岳](長崎県平戸市)
3平戸の聖地と集落[中江ノ島](長崎県平戸市)
4天草の﨑津集落(熊本県天草市)
5外海の出津集落(長崎県長崎市)
6外海の大野集落(長崎県長崎市)
7黒島の集落(長崎県佐世保市)
8野崎島の集落跡 (長崎県北松浦郡小値賀町)
9頭ヶ島の集落 (長崎県南松浦郡新上五島町)
10久賀島の集落(長崎県五島市)
11 奈留島の江上集落[江上天主堂とその周辺](長崎県五島市)
12大浦天主堂(長崎県長崎市)
熊本1箇所、長崎11箇所ですが、なかなかに散らばっています。
南北は最南の天草の﨑津集落から最北の平戸の聖地と集落[中江ノ島]まで約130km、東西は東端の原城跡から西端の久賀島の集落まで約130kmです。
偶然ですが、南北と東西の距離が同じ約130kmですね。
そして、本土にある資産と五島列島などの離島にある資産がばらけているので、陸路と海路を組み合わせなければならず、かなり難しいコースになりそうです。
コース設定は迷いましたが、一番南の天草の﨑津集落からスタート。
本土の資産を4天草の﨑津集落、1原城跡、12大浦天主堂と陸路で回ります(一箇所フェリーあり)。
その後海路で五島列島に渡り、ツアーと定期航路を駆使して10久賀島の集落、11奈留島の江上集落、9頭ヶ島の集落、8野崎島の集落跡の順で回ります。
そして一度海路で長崎本土に戻り、また海路で島へ渡って7黒島の集落へ行きます。
ラストはレンタカーを借りて陸路で3平戸の聖地と集落[中江ノ島]、2平戸の聖地と集落[春日集落と安満岳]、5外海の出津集落、6外海の大野集落と見て回ります。
以降のページでは、1日毎にルートや移動手段、ツアーの内容、見所などを紹介していきたいと思います。