唐津・東松浦半島ドライブで立ち寄りたい絶景スポット満載の「加部島」

玄界灘や壱岐水道、伊万里湾などに面した東松浦半島は、海の眺めを楽しむシービュードライブにもってこいの場所です。

その中でも、呼子町から呼子大橋を通って行ける「加部島」は、島内に絶景スポットが揃っていて、ドライブコースに組み込みたい場所なので、その絶景スポットを紹介します。

加部島マップ

目次

加部島データ

加部島は玄海国定公園内にある景勝地です。人口は583人(平成22年国勢調査より※調査日は2010年10月1日)で、1989年に架けられた呼子大橋により本土と陸続きになりました。住所は「佐賀県唐津市呼子町加部島」で、南北約2.7km、東西約1.8kmの縦長の小さな島です。

呼子大橋

産業は漁業や農業で、特に漁業が盛んです。イカは「呼子のイカ」として地ブランド扱いになっています。

また、ウニやサザエ、アワビなどが豊富に取れ、ウニは「呼子の朝市」、サザエ・アワビは「波戸岬サザエのつぼ焼き売店」で食べることができます。

南部には天童岳(112m)があるなど高台になっていて、「風の見える丘公園」からの呼子の海の眺めは素晴らしいの一言。また、北端にある「杉の原放牧場」で見られる、牛と放牧地と海という眺めも独特です。

ほかにも、中・北部の玄武岩台地や海食崖の玄武岩の柱状節理、佐賀県最古とされる田島神社もあります。

玄界灘や名護屋浦を一望できる「風の見える丘公園」

呼子大橋を渡って、加部島に上陸し、島の傾斜にそってぐるぐると曲がりくねった道を上っていくと「風の見える丘公園」に到着です。

呼子大橋を本土側から

ここからは、名護屋浦と対岸の呼子の町が見えます。

左手奥が呼子港、中央に呼子大橋とその右向こうには名護屋城があるはず(見えない)

南西方面には名護屋城があり、名護屋城の天守からは加部島と呼子大橋ははっきり見えますが、「風の見える丘公園」からだと、名護屋城に特に目印がないので、地図を見ながら「あのへんかなー」ってぐらいです。

ちなみに、島と呼子の間の海は昔は名護屋浦と呼ばれていました。名護屋浦は狭く入り組んでいるので船を隠すのにちょうどよく、豊臣秀吉が朝鮮を攻めた文禄・慶長の役で安宅船が停泊し、ここから出航していった場所です。地元では「千艘隠ヶ浦」(せんそうかくしがうら)とも呼ばれていたそうです。

呼子港の全景

ここ「風の見える丘公園」のシンボルは白い風車だそうですが、私はその存在にまったく気が付きませんでした。あまり大きい風車ではないのかも。そういえば、展望台を出たところにあったかもと、記憶がかなりおぼろげです。

それよりも松浦佐用姫伝説の佐用姫像のほうが気になりました。

佐用姫は松浦の長者の娘で、朝鮮へ出征するために中央からやってきた狭手彦と恋仲になります。しかし、彼が出征してしまうと、悲歎の果てにこの島で石化してしまったとも、蛇頭人頭の化け物に命を奪われたとも伝わります。

別れを惜しんでずっと褶(ひれ、領巾とも)を振っているの図

肥前の三滝でもありましたが、恋がらみで女性が亡くなるという伝説はこの辺りで多いのでしょうか、もしかしたら佐賀の女性は情熱的、ロマンス好きなのではとおもったりしました。

ちなみに展望台には建物があり、休憩ができます。そして風力発電に関してのパネル展示も行われています。無料です。

展望台内観

また、駐車場と展望台の間には数軒の売店があり、訪問時(2017.5)には地元産のみかんや甘夏ソフトクリームなどを販売していました。

売店

駐車場の向こうには、加部島の北部一帯とその先の沖に浮かぶ小川島が見える

石が名物の珍しい「田島神社」

島の東端のひょっこり飛び出した盲腸のような場所に建つのが「田島神社」です。

社伝では731年(天平3年)に、日本武尊(やまとたけるのみこと)と両道入姫命(ふたじいりひめのみこと)の間の第4子・稚武王(わかたけのみこ)を配祀したと伝わる、肥前国で最も古い神社です。

旧社格は国幣中社で海・航海の神として海峡交通安全や大漁などが祈願される神社です。

ここの見所は境内にある“石”です。

本殿の階段下にある「力石」は、朝鮮征伐の際に秀吉が名護屋城に滞在中、秀吉配下の武将達が力比べのために持ち上げた石と伝わっています。

力石

また、最初の鳥居と階段下の鳥居の間には、蒙古襲来の時に蒙古軍船が使っていた碇石が置かれています。

これは神社の東方、玄海の海中から引き上げたものです

なぜ引き上げたかについては書いてなかった

悲恋の娘が転じて縁結びの神となった「佐與姫神社」

「風の見える丘公園」に像がありましたが、佐用姫を祀った「佐與姫神社」が田島神社の境内にあります。

田島神社の本殿に向かって左手にある(右には力石)

狭手彦を想い、船の姿を追いかけてきて加部島までたどり着き、船がもう海の彼方に見えないことを悲しみ、七日七晩泣き明かしてから石になってしまったという佐用姫。

その石は、「望夫石」としてこの神社に祀られています。

この恋のエピソードは唐津城主の姫君たちにとっては魅力的だったようで、お忍びで参拝して縁結び・良縁の御守を持ち帰っていたそうです。

加部島の北端から牛と玄界灘を望む「杉の原放牧場」

島の北の岬の一帯は牛の放牧場になっています。

雄大な玄界灘の青を沖に浮かぶ島の濃い緑をバックに、鮮やかな緑の放牧地で牛がのんびりと草を食む姿はまったりと牧歌的で、見ているとほのぼのとした気分を味わえます。

牧歌的とはまさにこのこと

放牧地の周囲はぐるっと遊歩道が囲んでいるのですが、東側は牛の放牧地とクロスしているため、時間(時期?)によっては閉鎖されているようです。西側からなら、ぐるっとまわって、灯台の側まで行けるようです。

牛さんたちはわりと見学路から離れた場所でのんびりしていて遠いのですが、牧場の西の方にある牛舎近くの狭めの空き地にぎゅっと詰められていました。

わらわらと寄ってくる

これは出荷前なのでしょうか、いつも必ずいるわけではないとは思いますが、牛を間近でみたければ、東から西まで余すところなく杉の原放牧場を散策してみて下さい。

電気柵に触れてしまったのか、鼻の頭が禿げている牛

ちなみに牛は人が近くを通ると、押すな押すなとばかりに近寄ってきます、なんなんでしょう、エサ期待でしょうか。それとも出荷から自分を救ってくれというアピールでしょうか、それに対しては何もできないので、ほんとうに無力ですまないと思いました。

まとめ

加部島は絶景や古代の伝説など、小さいながらもロマンに溢れる景勝地です。

唐津・東松浦半島でのドライブでは絶対に外せないスポットなので、ぜひチェックしてみてください。