名護屋城の建材で作られた平山城「唐津城」。今なら貴重な石垣修復も見られる

唐津のシンボルとなっているお城は、安土桃山時代に豊臣秀吉の家臣・寺沢広高によって築城されたものです。満島山のてっぺんに立派な天守閣が建つ様子は、街のいたるところから見ることができ、唐津に来たら一度は行ってみたいスポットの一つです。

今回、行った時は、ちょうど石垣の修理中でした。

なかなか見ることのできない、貴重な修理の様子を含め、唐津城をご紹介します。

目次

唐津城の歴史

唐津城は、慶寺沢広高によって1602年(慶長7年)から1608年(慶長13年)の約6年間をかけて築城された平山城です。(1591年天正19年説、1592年慶長7年以前説もあり)

右端が唐津城。江戸末期、小笠原藩時代の空積城下町絵図より

場所は唐津湾に向かってちょろっと突き出した半島部分の先端の満島山を中心に築かれました。

満島山には天守台(本丸)が置かれ、山の西の平地には二の丸(藩庁御殿、藩主住居)、そしてお堀を挟んでさらに西側には三の丸(侍屋敷)・外曲輪(町人居住区)が広がっていました。

城の建材は名護屋城で使われていた建材が流用されました。

名護屋城(現在の唐津市鎮西町、唐津城からは直線距離で約13km)は、文禄・慶長の役(朝鮮征伐)の前線基地として築かれ、秀吉の死後の1598年に廃城となり、近くに建てられることになった唐津城に建材が流用されたのです。

唐津城の本丸では名護屋城で使われていた金箔瓦が出土しています。

資料

別名は舞鶴城

天守がある満島山を中心に、鶴が翼を広げたように見えるとし、舞鶴城という別称も持っています。

しかし、私には、どこがどう鶴なのかさっぱりわかりません。

2019年までの予定で石垣の7割を再築中

唐津城は築城から400年以上が経過し、石垣は長い年月を経て「はらみ・ゆるみ」が生じ、石材自体にもひび割れや劣化が見られるようになっていました。それにより、崩落の危険性があるので修復が行われることになったのです。

修復の様子。石垣を取り払うことで、古い石垣が現れたりして、定説が覆るかも

私が行った時は、本丸の南側の石垣の再築中でした。本丸の最上段に入るためには、通常の登城路ではなく、天守閣を回り込んで西門から入るようになっています。

完全に裏門て感じの西門

なお、天守まではそこそこ上り階段が多くなっています。歩くのがしんどい人は、正面登り口から左手に城を回り込み、エレベーターを使って一気に本丸最上段の北門まで上ることができます。

右が正面登り口、左を2分ほど進むとエレベーターがある

昔風になっているエレベーターの入口(天守からの乗り場)

幻の天守閣は昭和41年に完成したもので忍者屋敷ではない

実は唐津城には天守台はあっても天守閣はなかったとされています。

今ある天守閣は、当時の建築様式を復元し、文化観光施設として1966年(昭和41年)に完成したものです。

天守閣。天守閣の下の石垣はすでに再築が終わっていてすっきり綺麗だった

私が行った時はリニューアル中で、その後、平成29年夏にリニューアルオープンしています。

展示は、天守閣2階「唐津の歴史ゾーン」で唐津の中世から唐津藩歴代藩主の展示を行い、天守閣3階「唐津の産業ゾーン」で唐津焼など江戸時代の唐津の産業を紹介します。

なお、TVアニメ「ユーリ!!! on ICE」では、作中で城は忍者屋敷とされていますが、そんなことはないようです、残念。

城内にはユーリののぼりもあった

天守閣の真下にはやたらと小さな鳥居が有る金刀比羅(こんぴら)神社もあります。

鳥居に石をのっけるとご利益が?

天守台からのパノラマの眺めは抜群

天守は唐津の街の北の端にあり、唐津湾に面しています。

そして高さ43mの山の上にあるので、周囲をぐるっと見渡せます。

西は弓なりの西の浜、北は開運スポット宝当神社のある高島、そして東は日本三大松原の一つ虹の松原が見えます。

西の浜

綺麗な台形の高島

虹の松原

まとめ

石垣を崩して修復中という貴重な現場が見られる唐津城。

リニューアルしたばかりの天守閣や天守台からの眺めも素晴らしく、唐津では必見のスポットとなっています。

歩いていってもそんなに高低差もなく、散策にぴったりなので、唐津湾からの風を感じながら、のんびり城歩きを楽しんで下さい。

■施設情報

・名称:唐津城(舞鶴公園)

・料金・営業時間・定休日:入園自由

※唐津城天守閣500円・9:00~17:00・無休(12月29~31日は休館)

・住所:佐賀県唐津市東城内8

・アクセス:JR唐津駅から徒歩20分、昭和バス唐津バスセンター(大手口)から徒歩15分

・電話番号:0955-72-5697

・駐車場:東城内駐車場普通車170台、1時間100円